「情報は寝室のドアの前まで」

投稿日時 : 2020/02/17 18:00

「バンジャマン・グリヴォーは罠にはまったのか?」
地方紙La Dépêche du Midiのサイトより。


この週末、フランス(のメディア)が大きく騒いでいたニュースで、日本ではまったく取り上げられていないニュースがある。

それは、あと1か月を切ったパリ市長を決めることになる市議会議員選挙の与党候補者リストのトップ(つまり政権与党のパリ市長候補)であり、マクロン政権の元大臣であったバンジャマン・グリヴォー氏(42)が突然、出馬を取り下げたというものだ。

その原因となったのが、フランスにロシアから亡命中の(自称)アーティスト、ピョートル・パヴレンスキーが自身のウェブサイトに公開した動画で、これが政治家のプライベートな動画だった。これは「暴力」であり「家族と自分をこうした暴力にさらさないため」に身をひくと発表した。

問題の動画だが、当初はメディアでも、sexuel(性的)とか、pornographique(ポルノ的)という言葉が使われていたが、現在では「intime:親しい、親密な、私的な。partie intimeは最近の日本で言う「プライベートゾーン」、journal intimeは日記)という形容が主流のようだ。パヴレンスキー氏は、最初、フランスの独立系メディア、「Mediapart」に情報を持ち込んだが、Mediapartは公開を拒否、それを受けて、このロシア人(自称)アーティストは、フランス国外にサーバーがあるウェブサイトで公開、そのリンクをSNSなどで拡散。そして最初は一部の政治家やジャーナリストの間でのみ出回っていたが、あっという間にツイッターなどでも拡散。グリヴォー氏も即座に判断を下し、出馬取りやめの発表となった。

ここでは、フランスのメディアの立場と同じように、その動画の具体的な内容は記さない。内容自体は違法なものではまったくなく、まさに私生活、プライベートに関するもので、そのプライベートなものの中でももっともintimeなものだった。動画が本物かどうか、フェイクかどうかは問題ではなく、それ以前に、プライベートなことであるから、その問題に答えることすら必要ない、というのが当事者であるグリヴォー氏(一般の人であっても)の立場であるし、メディアの立場でもある。

フランス(のメディア)が大きく騒いでいる点をまとめると:
1・直前の調査では3位につけていた、パリ市長選挙の与党最有力候補が電撃的に出馬取りけし。
2・過激派ロシア人亡命(自称)アーティストが首謀者(とされる)。
3・42歳フランス人男性政治家のプライベート動画(リベンジポルノ風)の流出。


1のパリ市長選については、週末には、与党候補はどうなるのかと、テレビ番組のスタジオでは専門家が予測したり、候補者へのインタビューなどがあったあと、保険担当大臣の女性が結局出馬することにナリ、それはそれでまた大きく取り上げられている。(最初は、いまのコロナウィルスへの対応や、年金制度改革問題でそんな暇はないようなことを言っていたが、決まってしまえば、「自分はパリで育った」と言っている。)これでパリの市長選挙は、3人の女性の三つ巴になるようだ。

2のロシア人(自称)アーティストの関与については、ロシアの情報機関やクレムリンが絡んでいるのではとか、グリヴォー氏はなにかの「陰謀」にはめられたとか、パヴレンスキー氏は他のフランスの政治家のプライベート情報を持っている、などなど。様々な分析や憶測が錯綜している。これは2年後のフランス大統領選挙への布石で、2年後に備えた実験的なものだというものもある。また、フランスの政治家は相手がメッセージを受け取ったらすぐに消去されるというセキュリティに強いとされるメッセージアプリを使っているが、それも実はそもそもがロシア人が開発したものだとか、フランス人が好きなアメリカ制作のテレビドラマのような「陰謀説」も。

3については、フランスの政治やメディアの「Américanisation:アメリカ化」(つまり政治家が性的スキャンダルで政治生命を脅かさせる)だとか、SNSやインターネットは悪の元凶だとか、法を犯していない限り(性的虐待や、幼児虐待など)、プライベートな事項(不貞行為ですら、それ自体は法的には犯罪ではない)はメディアはもちろん、何人も干渉すべきではないという、「フランス的」原則が多く語られている。

逆に法的に罰せられるのが、こうしたプライベートなものの公開(ロシア人(自称)アーティストがやった行為)、さらにはその拡散(SNS上などで、リンクを公開すること)もフランスでは罰せられる。実際に当初はSNS上でも問題の動画や動画へのリンクなどがあったかと思われるが、いまは探そうと思ってもすぐには見つからないほど、フランスのSNSプラットフォーム側が削除していると思われる。ただし、プライベートのやりとりではどのくらい出回っているかは不明だ。

一方、パヴレンスキー氏とそのパートナーは別の案件だが拘留された。

この「SNS / 政治 / 私生活(さらには“モラル・道徳”)」という議論で、よく持ち出されていたのが、風刺新聞Le Canard Enchainéでかつて掲載された言葉、「L’information s’arrête toujours à la porte de la chambre à coucher:情報はいつも寝室のドアの前で止まる」だ。フランスでもこれまでも現職大統領を含め、様々な政治家の私生活が取り上げられたことはあったが、そこまでも政治家生命が脅かされたことはない。実際、今回のグリヴォー氏は自らの判断(おそらく)で出馬をやめたが、全ての政治家はプライベートなことで暴力行為を受けたことを非難、解説でも、逆にこの件がきっかけで一般市民からは逆に同情票も得られたはずだったろうという言説まであった。

こうしたフランスのメディアの振る舞いは、日本(やアメリカも?)で理解されるだろうか。
日本では芸能人のや政治家の不倫は大手メディアでは取り上げられないにしても、「ワイドショー」や「週刊誌」という日本独自のメディアで大きく取り上げられるが、そうしたワイドショーも「週刊誌」(フランスでもあるが、はっきりと「(低)俗」なメディアという理解、ジャーナリズムとは区別をされている)もないフランスでは、政治家や俳優・コメディアンなどの不倫(さらにはそもそも恋愛も)はほとんど話題にならない(読者も求めていない)。

ただ、日本から見ると、情報や議論のやり過ぎは、情報や議論を潰しているようにも見えなくはない。

週が明けて、この「プライベート動画」自体については通常のメディアでは取り上げられておらず、「ロシア疑惑」と「SNS /プライベート」という議論はもちろん終わりはなく、この話題は新しい候補につながるパリ市長選の一つのエピソードとなっていくようだ。